弁理士と言えば理系の資格、そう思っている人も多いでしょう。実際、合格者の8割強は理系です。しかし、逆に言えば、1割程度は文系なのです。
それではどうして弁理士が理系資格と言われているのに文系の人もいるのか、その人たちはどう活動しているのか、今回は、弁理士と文系の関係について徹底分析したいと思います。
1.文系が弁理士になるメリット
(1)弁理士とは
まず、弁理士の仕事を簡単にまとめておきます。弁理士の仕事は、基本的には知的財産を扱う仕事です。
知的財産としては、特許、実用新案、意匠、商標、著作権など(「など」の中身は後で詳述します)がありますが、このうち、特許、意匠、商標は特許庁に出願して審査を受けなければ登録になりません。この出願手続き・権利化の代理をするのが弁理士の仕事の大きな部分です。また、権利化に際して、そもそも出願するのが良いか否か、出願して権利にできるのか否かのコンサルティングや特許庁からの審査結果通知(拒絶理由通知)への対応も仕事に含まれます。これらの業務を行えるのは弁理士(及び弁護士)に限られています。
(2)なぜ弁理士は理系資格と言われるのか
さて、なぜ弁理士は理系資格と言われるのでしょう?理系出身者が多いこともその一因ですが、それは現象論、つまり、理系資格だと言われることの裏返しにすぎません。弁理士が理系資格と言われる本質的理由は、実は弁理士には「特許」のイメージが強いからです。
「特許」とは発明に対して独占権を与えて保護する制度ですが、この「発明」とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」をいいます(特許法第2条第1項)。自然法則というのは、重いものが高いところから低いところに落ちるとか、比重1未満のものが水に浮くとか、そういう自然界の法則です。これは一般に自然科学で研究されているものなので、発明を理解するためには自然科学の知識が必要になる、つまり、弁理士は理系の仕事だというイメージがあるのです。
(3)実は文系的―弁理士の業務
ただ、このような「弁理士=特許のお仕事」⇒「弁理士=理系の資格」という論理はいくつかの点で間違っています。ある意味では、弁理士は文系の仕事と言っても良いのです。その点を詳しく解説しましょう。
①弁理士の仕事は文章を書くこと
弁理士の仕事で最も大きな部分は、特許庁に書類を提出することです。例えば、特許出願では、発明を文章として表現し、説明する作業が必要です。特許の場合、ここで、何が発明のポイントかを見極めるために技術的知識も必要ですが、それを文章として展開する文章力も重要です。
②弁理士の仕事ではコミュニケーション能力が大切
ほとんどの場合、発明をするのは技術者です。技術者は自分で発明したのだからそもそも自分で発明を説明する文章を書けばよいようなものです。でも、文系の人にはなかなか理解しにくいことですが、文章を書くのが苦手という人が世の中にはいます。そして、技術者の中にはその手の方が少なくありません。弁理士は、そういう方から話を聴いて発明を客観的に文章化します。そこでは技術者とのコミュニケーションを円滑に進める能力や、聴いた内容を論理的に文章として展開する力が必要になります。これは文系的な能力とも言えます。
③弁理士の仕事では語学力も大切
弁理士の仕事では、海外とのやり取りが必要になる場合もあります。海外に出願をしたり、海外の顧客からの依頼を受けて日本で出願する場合も多いからです。こうした出願書類や日本や外国の特許庁からの通知は、適宜、日本語や外国語に翻訳する必要があります。ある程度の規模の特許事務所ではこうした業務のために外国語に堪能な事務スタッフを雇っています。小規模な事務所では外部の翻訳会社に依頼しています。ただ、訳が適切かどうか、その責任は最終的には弁理士にあると言ってよいでしょう。そのため、海外とのやり取りを行う特許事務所では、弁理士業務として語学力も必要です。
④実は特許以外の仕事も多い
弁理士の扱う仕事内容は、実は特許だけではありません。特許に次いで多いのは商標です。商標はいわゆるブランドです。一般に小さな企業ではいくつも商標を登録することはあまりありませんが、大企業などではたくさんの商標を登録しています。例えば、資生堂は、顧客層や商品特性に合わせて、「マキアージュ」「マジョリカ マジョルカ」などたくさんのブランドを持っています。こうした場合、他社に商標を登録されたり真似されると困るので、通常、こうしたブランドについて商標登録しています。こうした商標出願の合計件数は日本だけで年間20万件近くという膨大な数です。なお、商標についても、外国企業などからの日本出願や国内企業による外国への出願もあります。
このほか、意匠(デザイン)や不正競争、知的財産絡みの訴訟にも弁理士は関わっており、特許だけが弁理士の業務ではありません。こうした分野では文系でも十分に活躍の余地はあると言えます。
2.文系が弁理士になるのはむずかしい?
(1)数から見た文系弁理士の難易度
①志願者数
平成30年度の弁理士試験の志願者は
理工系が2,897人(全体の72.8%)
法文系が 822人(全体の20.7%)
でした。ここ数年、理工系が約7割、法文系が約2割という比率は概ね変わっていません。つまり、理系7割、文系2割ということです。
②合格者数
これを同年の最終合格者で見てみると
理工系が214人(全体の82.3%)
法文系が 33人(全体の12.7%)
です。
③難易度
文系が著しく不利という結果ではありませんが、最終合格者数を志願者数で割った単純計算だと難易度(合格率)は理系で7.4%、文系でほぼ4%です。文系の方が厳しい結果です。平成30年以外でも、年によって若干ぶれがあるものの、最近では、だいたい理系8~8.5割、文系1~1.5割という感じです。
(2)試験制度はどちらが有利?
①受験資格と試験の構成
弁理士試験では、受験資格上、理系・文系の区別はありません。どちらでも受験が可能です。
試験は短答式試験、論文試験、口述試験の3段階で行われます。
②短答式試験
短答式試験は
特許・実用新案に関する法令 20題
意匠に関する法令 10題
商標に関する法令 10題
工業所有権に関する条約 10題
著作権法及び不正競争防止法 10題
とすべて法律系の問題です。ここでは理系問題は出題されないので、難易度的に文系が有利かとも思われますが、平成30年度の短答式試験の合格者は
理工系が 480人(全体の77.4%)
法文系が 105人(全体の16.9%)
となっており、志願者の割合と比べると文系合格者の方が割合としては減っています。平成30年度で言うと、文系は、志願者では全体の約21%いたものが、短答式で約17%に減り、最終合格者では約13%に減っていることになります。
③論文試験
論文試験は必須科目と選択科目があります。
I.必須科目
必須科目は
工業所有権に関する法令(特許・実用新案、意匠、商標)
です。
II.選択科目
選択科目は
理工Ⅰ(機械・応用力学) 材料力学、流体力学、熱力学、土質工学
理工Ⅱ(数学・物理) 基礎物理学、電磁気学、回路理論
理工Ⅲ(化学) 物理化学、有機化学、無機化学
理工Ⅳ(生物) 生物学一般、生物化学
理工Ⅴ(情報) 情報理論、計算機工学
法律(弁理士の業務に関する法律) (民法総則、物権、債権が範囲)
から1科目を選ぶものです。
選択科目では理系の方がより多くの科目から選択できますが、法律科目を選べば理系の知識なしですべての試験を受けることが可能です。従って、試験科目の点で難易度的に文系が不利ということはありません。
(3)なぜ文系の合格率が理系より低い?
最終的に文系の合格率が理系より若干低い理由は明確ではありませんが、弁理士は理系資格という思い込みが強いことと、文系資格はさまざまなものがあることから、文系の弁理士試験受験者は理系受験者に比べ、弁理士試験での合格を目指すモチベーションが低いのかもしれません。また、文系の場合、より優秀な層は他の試験に流れているのかもしれません。さらに、文系受験科目は法律に限られているので、法律以外の文系受験者にとっては、論文試験での選択科目は若干ネックになる可能性はあります。
(4)文系弁理士の就職事情
文系弁理士の就職状況について明確なデータがあるわけでありませんが、第1章で述べたように、弁理士の業務内容じたいは文系的です。また、そもそも、文系・理系と言っても、キャリア的には高校から大学での数年間程度のことです。一般的には、以下のような選択肢が考えられます。
①理系弁理士と同様に特許事務所に就職する
特許事務所の扱う業務は特許だけではなく意匠・商標もあります。また、おおまかに言えば、実用新案の対象となる考案は特許ほど技術的に高度ではない場合が多いと言えます。次章で述べるように、特許であっても、日用品などでは深い技術的知識を必要としないものもあります。従って、バイオ専門であるとか、特定の先端技術に特化した特許事務所でなければ、文系弁理士の活躍の場は十分にあります。
②商標や意匠に特化した特許事務所に就職する
I.商標専門事務所
特許事務所の中には商標や意匠に特化した(またはそれらに重点を置いた)事務所もあります。現時点で商標出願は年間20万件近くあります。そのすべてが特許事務所経由で出願されているわけではありませんが、商標出願をメインに扱うことでも十分にやっていける状況があります。
II.商標専門弁理士の業務
なお、商標は、例えば、一般的な普通名称などを普通のかたちで登録できません。例えば、「鉛筆」という商標を「鉛筆について使います」として商標登録出願しても特許庁の審査で拒絶されてしまいます。商標法にはこのような不登録事由が規定されています。また、先に出願・登録されている他人の商標に類似する商標も登録されません。このようなことから、顧客が特許事務所に依頼してきた場合、その商標が登録され得るものかを検討し、必要ならば修正を提案するなどして登録できるような商標を出願するアドバイスをし、特許庁の審査で拒絶された場合は適切な対応を考えるのが商標専門弁理士の主な業務になります。
また、商標に関してはさまざまなトラブルもあります。いちばん多いのは、商標登録をしないで自社の商品にある商標を使っていたら、それが他人の商標権を侵害するものだったというケースです。その他人が商標を使うなと言ってくるのです。あるいは、使うなら金を払えと言ってくる場合もあります。反対に、第三者が自社の商標権を侵害している場合もあります。このような場合、どのように対応すればよいかを顧客に提案するのも商標専門弁理士の重要な仕事になります。
III.意匠専門事務所
意匠はデザインです。意匠を専門に扱う特許事務所はそれほど多くはありませんし、図面を扱うため、全くの文系では難しいでしょう。しかし、美術系などの文系であれば、意匠を専門に扱う特許事務所に就職するのもひとつの方法です。
③企業内弁理士として企業に就職する
企業内に知財部門を持つ企業もあります。ある程度以上の規模の企業では研究開発の成果を特許として出願したり、ブランド戦略を立ててそれに応じた商標出願をする必要があるからです。こうした場合、自社で出願するにせよ、外部の特許事務所に依頼するにせよ、ある程度、知的財産権に関する知識が必要です。そのために企業内に弁理士を雇用している場合もあります。知財のキャリアとしては重要な選択肢であり、そういう企業に就職するのも文系弁理士として資格を活かす道になります。
④知財の知識と語学力を併せて活用する
知的財産はグローバルなものです。このため、海外とのやり取りが重要な要素です。特許事務所や一般の企業で知財の翻訳を担当したりその監修をすることも文系弁理士に適した業務です。あるいは、特許事務所や企業の知財部門を顧客とする翻訳会社や調査会社に就職したり、自らそのような翻訳会社や調査会社を起業することも選択肢のひとつでしょう。
➄知財の知識とその他の文系知識を併せて活用する
分野によっては、語学以外の文系知識が知財と結びつくことがあります。例えば、企業会計における知財の位置づけです。一般に知的財産権の価値は金銭的に見積もることがむずかしく、特に会計知識のない弁理士では不可能と言っても過言ではありません。そうした分野での活動が求められているのであれば、法律事務所や会計事務所への就職もあり得ます。
3.文系弁理士の働き方
(1)特許事務所でのキャリア
一般的に言えば、弁理士の就職先としては特許事務所が多いでしょう。弁理士試験に合格して弁理士登録すれば自ら特許事務所を開くこともできますが、何年かは特許事務所でキャリアを踏むのが現実的です。
この場合、文系弁理士として、語学力を活かしたり、商標や不正競争などの分野に力を注ぐことも可能です。ただ、現実的に多いのは特許事務所に務めながら理系の知識を得る働き方です。
(2)理系弁理士も理系を完全に把握しているのではない
実際のところ、理系弁理士と言っても理系分野全般に知識は持っていません。弁理士試験の理系選択科目が
理工Ⅰ(機械・応用力学) 材料力学、流体力学、熱力学、土質工学
理工Ⅱ(数学・物理) 基礎物理学、電磁気学、回路理論
理工Ⅲ(化学) 物理化学、有機化学、無機化学
理工Ⅳ(生物) 生物学一般、生物化学
理工Ⅴ(情報) 情報理論、計算機工学
と分かれているように、機械系、電気系、化学系、バイオ系、情報系では専門知識もかなり異なっています。また、同じ分野であっても、大学で4年(+大学院で数年)程度勉強しただけでそれ以降の最新知識をカバーできるものではありません。
(3)文系弁理士が特許を扱うためには
①理系の知識を身に付ける
逆に言えば、文系弁理士であっても、意欲をもって励めば理系弁理士に負けない技術的知識を身に付けることもできます。現実的には、夜間などに理系の大学に通うことです。こうして理系の知識を得ている文系弁理士は少なくありません。
②技術よりも法律的センス
また、特許レベルの発明でも、実は、文系弁理士でも十分に理解可能なものも少なくないのです。その好例が「切り餅訴訟」です。
これは、四角い小片状に小分けされたいわゆる「切り餅」に関する争いです。具体的には、「切り餅」の側面に筋状の「切り込み(スリット)」を入れたり、上下面に十字状の切り込みを入れた「切り餅」に関して、業界首位のサトウ食品工業、業界2位の越後製菓、同3位のきむら食品の間で繰り広げられた一連の特許訴訟です。
切り餅訴訟じたいはその経緯が複雑なので詳細には立ち入りませんが、ざっくり言ってしまえば、切り餅に切り込みを入れることで、焼いたときにかたちが不細工にならないというのが大きな特長です。たぶん、多くの方が一度は食べたことがあると思いますが、あのような工夫でも分野によっては特許になります。
つまり、特許に関しても、必ずしも高度な専門知識は要らないことがあるのです。
もちろん、「切り餅」の焼け方と切り込みの入れ方に関しては、深い技術的考察も可能です。しかし、特許ならなんでもかんでもものすごく難しい知識が必要だとは限りません。つまり、文系弁理士でも十分に対応可能な技術はあると言えます。この裁判の経緯を見れば、むしろ法律的センスがいかに重要かがわかるでしょう。
4.文系だと年収は下がる?
(1)弁理士の年収
弁理士の平均年収は特許事務所や企業に雇用されているのか、自分で開業しているのかにもよります。前者の場合、500万円~1200万円くらいだと言われています。また、後者の場合、順調に行けば数千万円の年収も可能です。
(2)文系と理系の差
それでは理系弁理士と文系弁理士ではどのくらいの差があるのでしょうか?
まず、一般の特許事務所で、理系の知識のある弁理士と文系の知識しかない弁理士のどちらが好都合かと言えば、通常は理系の知識のある弁理士です。事務所の給与体系にもよりますが、理系の知識のある弁理士の方が重宝される分、給与も高くなる可能性はあります。また、理系の知識のある弁理士と文系の知識しかない弁理士のどちらが採用されやすいかと言えば、通常は前者になるでしょう。弁理士の求人にどのくらい明示的に理系希望と書かれているかはわかりませんが、転職にせよ新卒にせよ、理系弁理士の方が有利だとは言えます。
(3)差は乗り越えられる
①コミュニケーション能力で
しかし、他の士業でもそうですが、知識や学歴が高収入を生むとは限りません。士業の仕事ではコミュニケーション能力が大切です。「理系の人間はコミュニケーション能力が低い」とは言い切れませんが、これがある程度事実だとすると、文系弁理士はコミュニケーション能力が高い分だけアドバンテージがあると言えます。
②本人の能力で
もちろん、弁理士の仕事はコミュニケーション能力だけではありませんが、前述のように、本人の意欲しだいでは文系弁理士として出発しても、理系の知識を得ることはできます。また、外国との関係で語学力を活かすことも可能です。さらに会計知識など、語学力以外の文系知識を駆使すれば全く新しい業態で収入を得ることも夢ではありません。
(4)文系弁理士の可能性
①特許出願件数の推移
もうひとつの問題は市場規模の問題です。日本では近年、特許出願の件数は減少傾向にあります。具体的には、2018年における日本国特許庁への特許出願件数は313,567件です。21世紀初頭は40万件を超えていましたからかなり減ってきています。2017年で318,481件でしたから2017年から2018年だけでも5千件近く減っています。
この原因の中には海外出願の増加もあります。また、産業界全体の低迷もあります。このため、今後大きく回復する可能性はかなり低いでしょう。
②商標出願件数の推移
一方、商標出願は増えています。かつては年間10万件程度でしたが、現在は19万件を上回る勢いです。なお、意匠出願は年間3万件程度で大きな変化はありません。
もちろん、特許出願と商標出願では特許事務所にもたらされる手数料は前者の方が圧倒的に多いのですが、理系対文系という観点で言うなら、この流れは文系弁理士にとって悪い流れではありません。
5.サマリー
いかがでしょうか。もし、あなたが文系弁理士を目指すのなら、道は容易ではないかもしれません。でも、可能性はあなた次第でいくらでも膨らみます。文系出身の弁理士も大勢いますし、頑張れば道は開けます。
6.まとめ
・弁理士業務はむしろ文系的。「文系だから不利」ではない。
・弁理士試験制度上も文系に不利ではない。
・キャリア的にも文系弁理士の道は開けている。
・文系弁理士でも出願件数の増えている商標に特化したり、理系知識を身に付けることで理系弁理士以上の活躍・収入が期待できる。